私の叔母は多動症で、色々とクレイジーで死んだ時にカルチャーショックを受けた話し。

叔母、いわゆる私の父親の兄弟だ。

 

おばさんは、ADHDだった。病院で診察をされた事が無いものの、あからさまに人とはズレてる人だった。

 

部屋の片付けができなくて、散らかっていたり、お皿を洗うときに、水を出すのに蛇口をMAXにひねるとか、

 

食べてた物を裸のままポケットに閉まって、またそれを出して食べるとか、

スーパーでいらない物を大量買いしてきたりとか。

 

おばあちゃんも、おばさんがちっちゃい頃はとても育てにくい子だと言っていた。

 

そんなおばさんは、結婚していて2人の子供がいた。

 

お姉ちゃんと弟。

 

お姉ちゃんは秀才で頭もよく、服のセンスも抜群の健常者。

 

対する弟は障害者だった。

 

どんな障害かと言うと、平仮名は書けるけど漢字は書けない。

 

「さしすせそ」が言えない。

 

数字にはすこぶる強い(電車の来る時間とか、人の誕生日を暗記している)けど、計算はまったくできない、知的障害だ。

 

おばさんが見た目わからない障害者なのに対して、息子は見るからに障害者なのだ。その障害者の子の話はまたの機会にする。

 

うちの実家は二世帯住宅でおじいちゃんおばあちゃんが一緒に住んでいたのだが、

いつのまにか、そのおばさん家族も一緒に住んでいた。

 

障害者のいる家族というのは、ほんと犠牲になる。

 

普通の生活はな

かなか送れないのだ。

 

ADHDのおばさんは自分が大変なのに、障害者の息子を持ってさらに大変だったと思う。

 

おばさんの旦那さんは家庭をあまりかえりみない人で、わが道を歩く人だった。

 

パチンコにいったり、女遊びしたり、家族旅行なんて連れて行った事もないと思う。

 

でも、小さい頃わたしはこのおばさんがわずらわしかった。

 

機関銃の様におしゃべりしてきたり、なめまわすように顔を触ってきたり、おばさんの部屋に行くと臭いし、ゴキブリがわんさか居たし、散らかり放題で、ほんとに嫌だった。

 

たぶん、お姉さんも思っていたと思う。

 

自分の親なのだからもっと、複雑な形で。

 

 

おばさんはお母さんであるおばあちゃんにひたすら怒られていた。

 

会えば、小言。

 

それに反抗するおばさん。

 

子供達が大きくなって、障害者の息子はいじめにあい暴れるようになった。

 

刃物を持って「殺してやるー!」と叫んだり、電車の中でも暴れたりした。

自殺しようとベランダをよじ登ったり、扉を破壊した事もあった。

 

そんな生活が何年も続いた。施設に預けるも手に負えないとの事で、よく追い出された。

 

おばさんは長い間のストレスが積もりに積もったんだと思う。

 

お姉さんが結婚して、子供を産んだのを機に、おばさんも豹変してしまった。

 

温厚でいつもニコニコしていたおばさんが、私に向かって罵倒してくるのだ。

「このくそやろーーー!!」と。

 

私は逃げるしかなかった。

 

私達が邪険にするゴキブリを大切に飼い、家で繁殖させていた。

 

やばいぐらいのびっしりの数のゴキブリと共に生活していた。

 

それから、家で火を炊いたり、お風呂にわざと水を出しっぱなしにして、部屋中水浸しににもしていた。

 

ススだらけの顔で、着物の下に着る肌着いっちょで、近所をうろうろしていた。

 

たぶん、痴呆が入っていたんだと思う。これが、おばさんが生きてる姿を見たのが最後だった。

 

そっから、先はあまりわからないけど入院したと聞いた。

 

お姉さんは、看病のため何回も足を運んでいた。

 

息子は、施設に入っていた。

 

ほどなくしておばさんが死んだ。

 

なんというか、いろいろ衝撃を与えてくれる人物だった。

 

葬式でお姉さんが言っていた言葉があまりにも重すぎて、心に穴が開いた。

 

「おかあさん、ごめん。」

「おかあさん、優しくしてあげれなくてごめん。」って。

 

それ見て、わたしは大泣きした。

 

ただ、普通の幸せが欲しかったお姉さんと、

ただ普通に生きたかった、おばさん。

 

 

 

 

 

障害者の問題はまだまだ絶えないんだと思う。

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