
こんにちは、hanaです。
今回のお話しは、わたしが挫折したにがい思い出です。
黒歴史なんで書こうか迷いましたが、少しでも誰かのお役に立てたらと思って書きます。
レゲエを愛す
15年ほど前の話し。
当時私は、レゲエミュージックにどっぷりでした。

一時期、うつ病も患っていたため、音楽がなによりの私の癒しとなっておりました。
会社を辞めて、家のカフェを手伝いながら夜クラブに出かけておりました。
そして、クラブで出会っためちゃめちゃかわいい子と意気投合しました。

名前はのぞみことノンちゃん(仮名)
スラっとしてて、目がぱっちりで、背も高くて、髪も黒髪できれいで「美女」と言われるために生まれてきたような子でした。
ダンサーになろうと思った
ノンちゃんとはお互いの夢を語り合っていました。レゲエにたずさわりたい。
レゲエ界のイベントというのは、お客さんを巻き込んでどんどんイベントをビッグにしていくいわばお客は傍観だけじゃなく、
一緒に作っていこう的なスタイルでした。
なので、昔から常連というのはレゲエを通じて「歌う人」だったり「ダンサー」だったり「サウンドマン」だったり、「飲食店」、「ブラックミュージックの服屋」、「CD売る人」などなど
さまざまなレゲエの業種についていました。
そのせいか、客と主催側の距離がめちゃめちゃ近くて、ムーミンだったりプシン、りょうくんもフツーにクラブのホールにいました。
これは、、敷居が低いと思った私は昔から好きなダンスいに力を入れることにしました。
そして、ノンちゃんも「やりたい!!」と言い出したので一緒にチームを組んで、ダンサーになる決意をしました。
ダンスチーム結成
さて、チームを組んだ私たちでしたが、ノンちゃんは元々入っていた“ジャズダンススクール”に私を誘いました。
ジャズか~と思いつつも、ダンスの基本を習えると思ったので一緒に通うことに。
同時に、レゲエダンススクールも友達がやっていたのでそっちも通う事にしました。
レゲエダンスはぶっちゃけ「うまい」といった感覚はありません。
どちらかというと、いかにアクロバティックか、いかに自分らしさを出すかといった感じです。
ルーツをたどると、「男を誘うためのダンス」だそうで、きわどい水着みたいな恰好でお尻をプリプリしたりするダンスです。
初めて見る方は、(ストリップみたいで)結構衝撃を受けるかもしれませんが慣れればそんなものだと思ってしまいます。
話を戻して、やはりレゲエダンサーになると「ドルフィン」や「三転倒立」といったアクロバティックな技ができないと恥ずかしい”(-“”-)”
なので、猛特訓しました。
挫折の引き金
レゲエ界にいたのが4年とかになる私は、レゲエの知識だったり、顔の広さはノンちゃんよりも上なわけです。
対するノンちゃんは、まだ1年とか。
私はノンちゃんを応援する一員として見るのではなく、敵対心を抱いてしまったのです。
そんなノンちゃんは三転倒立をそっこうこなしていました。

私は、恐怖心が勝っていつまで経ってもできませんでした。
ノンちゃんが出来たことの焦りと、そして恐怖、プレッシャーにやられて神経をすり減らしていきました。
でも、レゲエの知識は上なのでいつまで経ってもノンちゃんに、「上から目線」で物事を言っていたのです。
ノンちゃんの意見は一切取り入れなくなっていました。
それでも、二人で舞台に立った
ジャズダンススクールで開催された「ダンスのジャンルは問わない」というイベントに二人で出ました。
みんながヒップホップだったりジャズといったスクールで習っているジャンルをやっているのに対して、
私たちはスクールのジャンルにないレゲエ。
それでも、二人で衣装を考えたり、振り付けを考えて「路上」でダンスの練習をしたりして、とても楽しかったです。
この時私たちには、一体感が出ました。
また、ダンススクールのみんながレゲエダンスを認知していないため、
どんなにへたっぴでも歓声を浴びせてくれて、こんなに気持ちの良かったことはありません。
私がレゲエに固執してしまった
レゲエではその当時、『古きよきものが良い』『コアな音楽が良い』風潮が流れていました。(偏見かもしれませんが、少なくとも私が感じました。)
なので、私もゴリゴリのレゲエダンスがやりたかったのです。
いつの間にか、私はジャズダンススクールに通うのをやめてしまいました。
ノンちゃんはわかりませんが、会う回数が減っていきました。
その中で、ノンちゃんと意見を言うようになっていました。
ノンちゃんは「私は、ブリトニーが好きでぶりちゃんのようなジャズ交じりのレゲエダンスがしたい。かわいいもセクシーも取り入れたい!!」

対する私は・・・「ゴリゴリのレゲエダンスをやりたい。ジャズが混じってるとか邪道。もうレゲエ一色でいきたい。」
私たちは意見が食い違ってしまいました。
方向性の違いに私はさらにイライラしたのです。

結果、私たちは解散してしまいました。
ピンでやる事を決意
晴れて、ピンになったわたし。
幸運にも友達がイベントを主催していたので、出る舞台はいくらでもありました。
しかし!!
いざ舞台に立とうと思うと、足がすくみ震えました。
「三転倒立ができない・・」「振付も覚えられない」「こんな下手なのに、踊っていいのか」「ほかのダンサーめちゃくちゃうまいじゃないか」「わたしは、ダンサーになる資格がない・・」「私は、ダンサーになれない!!!」
こんなマインドだったので、
舞台を逃げ出してしまいました。
もちろんまわりは白い目です。
環境がこんなにも整っているのに、私はダメな女だ、勇気のないいくじなしだとさらに自分を追い詰めました。
それから、どんどん深みにはまっていくのですが、今日はここまで。
形にできない事がこんなにも悔しくて、仲間とできていた事がなによりも心の支えだった事がすごくよく分かった体験でした。

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